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現代の葬儀

 今回は第二次世界大戦終了後、現代までの葬儀に付いて書かせて頂きました。

 日本では 敗戦とともに物資の不足、高度のインフレにより国民生活は混乱しましたが、昭和25年の朝鮮戦争による特需景気をはじめとして、日本の戦後復興が始まります。葬儀も昭和28年ころより 告別式を中心とした葬儀式が行われる様に成り、祭壇・棺や各種の葬具が開発・製造され、祭壇を中心とした葬儀が一般的となって行きました。この流れとともに 地域特有の葬具は徐々に姿を消し、全国的に標準化が図られる様に成ります。

 そして 人口の大都市集中、核家族が進みます。それでも この時代には地区共同体としての葬儀が多く見られました。葬儀の取り仕切りは 町内会や、団地の自治会が中心となり、団地の集会所で執り行われる葬儀も多く見られました。又 家族・親戚が色々な地域から集まらねば成らなくなり、葬儀は通夜と葬儀式を中心とした2日間に集中するように成ります。告別式も葬儀式と同時に行い、会葬者への迷惑を考慮して 時間も一時間以内で終了する様になります。現在の横浜市内では 葬儀式・告別式・初七日法要・故人様との最後のお別れまでを一時間で執り行う形が 一般的と成って居ります。

 現代では 少子高齢化が進捗し、お仕事を引退されてから そこそこの時間が過ぎた方の葬儀では 社会への告知と言う目的はより薄れ、近親の方のみで静かにお見送りする 葬儀が多くなりました。密葬 あるいは家族葬と言われる形です。会葬者の方も限定される事から 大規模な五段の祭壇などは姿を消しつつ有り、お見送るする御家族のご希望に沿った祭壇、式次第などが主流になりつつ有ります。

   今回は以上です。

斎場とは

 今回は斎場に付いて書かせて頂きました。

 斎場とは 神道の用語で 神道に於ける祭祀や儀式を行う場所の事を指します。神社内に常設された式場や、必要に応じて 屋外に仮設された 祭祀・儀式を行う為の式場も指します。又 神道では葬儀は死穢を嫌う事から 神社内では行わず、自宅或いは個別の式場に神官が出向いて執り行いますが、この場所も斎場と呼ばれます。しかしながら 現代の日本に於いては葬儀を行える施設を指す様に成りました。

 従来の葬儀は ご自宅で行うのが一般的でしたが、昨今の住宅事情や 車社会の進展、式場環境の快適化などの要望を基に、葬儀専用の式場が求められる様に成り、全国に大小 多くの葬儀会館(斎場)が作られました。民間の斎場、寺院の斎場、公営の斎場などです。更に 会葬者の利便性から、火葬場に隣接する斎場も多く見られます。これらの斎場は 式場だけでは無く 遺族控室、宗教家控室、会食室、通夜の為の仮眠設備、駐車場等を備えるのが一般的です。斎場によっては浴室を準備したところも御座います。

 横浜市内には多くの 民間・寺院・公営の斎場が御座いますが、火葬場は 民営1ヶ所、公営4カ所が有り、いずれも隣接して斎場が運営されて居ります。

 民営火葬場は 神奈川区に所在する西寺尾火葬場で、同一経営で斎場が隣接します。

 公営火葬場は4ヶ所で 何れも横浜市営の火葬場で、西区に所在する 横浜久保山斎場には 民営の斎場が隣接して居ります。他の3ヶ所は 緑区所在の横浜北部斎場、戸塚区所在の横浜戸塚斎場、金沢区所在の横浜南部斎場で 何れも横浜市営の斎場が隣接して居ります。

 尚 横浜市営の火葬場・斎場の利用料は 横浜市民にとり廉価で利用が可能となって居ります。

   今回は以上です。 

ターミナルケアとは

 今回はターミナルケアに付いて書かせて頂きました。

 ターミナルケアとは 終末期の人に対する医療、及び介護の事を指します。終末期の概念に 明確な定義は有りませんが、一般的には 老衰・病気・障害・損傷の進行により 死に至る事を回避するいかなる手段も無く、予想される余命が3ヶ月程度以内の状態を指します。ターミナルケアを専門に行う医療施設をホスピスと呼びます。それ以外の施設としては 緩和ケア病床、慢性期の医療病床、老人介護施設、障碍者介護施設等です。

 日本では 第二次世界大戦を経験した事により、人々は多くの死と直面せざるを得ませんでした、以後 死への忌避感が強くなり、死を語ることは社会的なタブーと成りました。しかし 戦後も遠くなり、高齢化が進むと伴に、その忌避感も緩和され、終末医療(ターミナルケア)への関心が高まります、そして 治療優先主義の医療に対する批判が出る様に成ります。病気や障害の最終治療に当っては 患者本人の生活を犠牲にするのではなく、患者の”生命の質”を尊重したケアが必要であると言う意見です。更には 死に方は 医師に決定権が有るのではなく、患者本人に決定権が有るべきでである とする 死の自己決定権が主張される様に成りました。医療情報の本人への開示(ガンの本人告知)、治療方法に対する患者本人の同意取り付け等です。そして 死後の自己決定権が提唱され、葬儀の次第やお墓の形式なども 本人のご意向が尊重される様になって参りました。

 ホスピス(hospice)の語源は 聖地への巡礼者を 小さな巡礼教会が宿泊させた事に始まります。ホスピスと言うと感覚的に高額の施設と考えがちですが、現在では 健康保険や介護保険が適用出来る、大型から小型の施設も数多く運営される様になって居ります。又 患者や家族のご希望に合わせ、訪問医療や訪問介護による在宅での ターミナルケアも多くなって参りました。

   今回は以上です。

墓地

 今回は墓地に付いて書かせて頂きました。

 墓地とは 亡くなった方のご遺体やご遺骨を埋葬する場所をさします。古くは然るべき立場の人の葬祭を行う場所、或いは火葬を行う場所が墓地と成りました。一般民衆の間では 村落が出来始めた頃より 村の共同墓地が作られる様に成ります。そして 仏教の民衆への浸透とともに 村洛の寺院が共同墓地を管理する様に成ります。又 農民の地位向上と共に 自作農家は所有する土地の一部に自家の墓地を設ける様に成りました。

 現代では墓地も変化の中にあります。1960年以降 人口の都市集中、核家族化などから 都市部での墓地需要は増大し、公営霊園だけでは無く民間の霊苑開発も盛んに行われる様に成ります。その決果 地方の寺院墓地は過疎化の影響を受けて 無縁化が進む様に成りました。明治時代後半以降の ”家墓” 形態は 核家族化、少子化の進捗により、その継承に問題が生じ、無縁化が問題と成るように成りました。その為 男子継承を原則とした墓地運営規則も 見直される様になりました。そして 継承が無くても永代供養をしてくれる 永代供養墓、有期限墓地、集合墓等 多彩な墓が登場する様になって居ります。

 横浜市内の公営墓地としては 西区の久保山墓地・久保山霊堂、神奈川区の三ツ沢墓地、港南区の日野公園墓地、中区の根岸外国人墓地、戸塚区のメモリアルグリーンが御座います。墓地の永代使用権購入は例年、11月に募集が行われており、集合墓の利用に付いては随時、申し込みを受け付けて居ります。

 尚 墓地を意味する 英語のCemeteryは ギリシャ語の”眠る場所”を語源として居ります。

   今回は以上です。

グリーフケアとは

 今回はグリーフケアに付いて書かせて頂きました。

 グリーフケアとは 死別の悲嘆に対する介護の事で、大切な方を亡くされたご遺族は、故人様との別れのつらさや、環境の急激な変化に戸惑い、御自身の心は傷ついています。この傷を癒す為のケアを意味します。納得の行く ご葬儀の施行は グリーフケアの一つでも有ります。

 身近な方の死別を経験されると 自然に故人様を思い慕う気持ちと、その方を喪失した気持ちを中心に湧き起る 感情・情緒に心は占有されます。そして その一方では この窮状から脱却しようと努力を試みます。この 相反する 二つの感情は共存して揺れ動き お心は不安定な状態となります。同時に 身体上も不愉快な反応・違和感を経験します。この時期には 死者とは、死とは、自分とは何か、等の問いかけも行います。この状態をグリーフと言い、この状態の人に さりげなく寄り添い、援助する事を ”グリーフケア” と言います。

 人間はひとたび生を受けると、死という宿命から逃れる事は出来ません。従い いずれは 愛する人の死に遭遇します。両親、配偶者、子供、兄弟姉妹 人生を共有して来た大事な人の死は 深い悲しみを生み、突然の死別などは大きな心の混乱を生み出します。この混乱を鎮めてくれるのが、葬儀の施行であり、体験を共有する家族との触れ合いであり、地域社会からの思い遣りでした。しかしながら 核家族化・少子高齢化の進行は 悲嘆をより大きく、家族や地域社会からの援助をより難しくして居り、グリーフケアが必要な社会へと成りつつ有ります。

 死別経験者が受ける 感情の苦痛期間は 人生危機の時期とも言えますが、キチンとした対処が成されるならば、発想や生き方を変え得るようなパラダイムシフトに繋がるエネルギーを秘めた大切な時期でも有ります。グリーフが 苦境はチャンスだったと言えれば良いのですが。

 尚 横浜市内には 磯子区に ”スノードロップスの会”、神奈川区に お子様を無くされた方を対象とした ”天使のブティク” などのグリーフケア団体が御座います。

   今回は以上です。

死の判定

 今回は死の判定に付いて書かせて頂きました。

 死の判定は 現在の日本の法律に於いては 医師のみが判定する事を許されて居りますが、古くは 宗教、哲学、神学などで 死の判定や定義を扱って居り、その地域、文化、時代、分野などにより様々な解釈が存在しました。死とは 命が亡くなる事、生命が亡くなる事、生命が存在しない状態等と定義されますが、はっきりとした尺度、基準を示すものでは有りません。

 人間の死亡の判定には 様々な解釈があり、文化的伝統、人の心情、医療、法制度、論理的観点など 複雑に関連しあって必ずしも明解では有りませんが、色々な観点での見解は以下の様に考えられます。

 息が止まる事

  古くから命は呼吸と強く結び付けられて考えられて居りました。従い 息が止まった状態を死と考えました。

 全身のさまざまな変化

  従来は 爪や髪が伸びている間は まだ生きていると考える人が多く居られました。

 三兆候

  医療に於ける死の三兆候で、脳死による臓器移植の問題が出るまでの基本形です。

   自発呼吸の停止、心拍の停止、瞳孔が開く。

 バイタルサイン

  現在の一般的な判断基準です。

  心拍数、呼吸数、血圧、体温の状態を確認し、バイタルサインによる生命のしるしがなくなった時点で、瞳孔反射を調べ、それも無い場合は死亡と判断します。

 生と死の境目は 必ずしも明確では有りません、考え方により大きく違います。しかしながら 社会生活を円滑に営む為には 法律により その境目を明確化せざるを得ませんでした。それが 医師による判断であり、死亡診断書に記載された死亡時刻が その方の死の瞬間と成りました。

 又 現在の医療の現場では臓器移植と言う治療法が開発され、移植の為の臓器をより新鮮な状態で得る為に脳死という概念が作られ、臓器移植法により運用されて居ります。ただし 同法では ”脳死状態の患者から臓器を移植してもよい” と書かれて居りますが、脳死は死であると規定しては居りません。

   今回は以上です。

脳死とは

 今回は脳死について書かせて頂きました。

 脳死とは 腦の全ての機能が回復不可能な段階まで低下し、回復不能と認められる状態の事で、その判定は 脳死判定の経験を持つ 2名以上の医師により行います。判定は2回行われ、1回目の判定の後、6時間後に2回目の判定を行い、二回目の判定終了時刻が死亡時刻として死亡診断書に記載されます。尚 脳死の判断基準は国により定義が異なります。又 日本では 脳死を 個体死とする旨 法律には明記されて居りません。

 人の死の判断は 古くは 息を引き取り、体温が低下し、身体が硬直する というプロセスをふんで確認しました。近代では 三徴候説と呼ばれる 肺機能の停止(呼吸停止)、心臓機能の停止(脈拍停止)、脳機能の停止(対光反射の消失)により判断する様変化しました。そして 現代では 医療技術の発達により 腦の心肺機能を制御する能力が喪失しても、心肺機能を維持し続けることを可能とする人口呼吸器の開発です。ここに 腦機能が停止しても 心肺機能は維持できるという状態が作り出されました。他方 生体移植技術の進歩とともに、臓器移植でのみ救済が可能な患者への光明を開く事とも成りました。

 日本に於ける 法的な脳死の定義は ”臓器の移植に関する法律”により規定されて居ります。脳死判定は 臓器提供を前提とした場合にのみ行われます。従いまして その実施に当っては 本人 及び家族の臓器提供同意が基本となります。日本では腦の機能を完全に解析出来て居る訳では有りません、又 脳死という新しい観念を受入れる為には 多くの議論がなされた事はご承知の通りです。

   今回は以上です。 

逆さごととは

 今回は逆さごとに付いて書かせて頂きました。

 逆さごととは 私どもが生活する現世(娑婆)と死後の世界はあべこべになっているという習俗を前提とした 葬儀に於けれ日本の風習で、逆さ屏風、逆さ水、逆さ足袋、逆さ着物、左前等があります。又 現世が昼の時は 来世は夜間である という習俗は世界の多くの民族で信じられて居りました。

 現代の日本に於いては 葬儀・ご火葬は昼間に執り行われますが、古くは夜間に行われて居りました。これは 死者が来世に到着する際は 明るいときが良いとの考えから、現世が夜の間にお見送りをすべきであると考えたことによります。

 逆さ屏風とは 安置したご遺体の枕元、あるいは周囲を上下を逆にした屏風で囲む風習で、屏風をめぐらす事により ご遺体を悪霊から守る、もしくは 故人さまの死霊が他の人々に及ばぬ様に などの意味があり、死後の世界は日常の世界とは逆であることから 上下を逆にします。

 逆さ水とは 湯灌を行う際はぬるま湯でご遺体をお清めしますが、ぬるま湯は お湯に水を注ぐのではなく、水にお湯を注いで作ります。

 逆さ足袋とは ご納棺の前にご遺体の服装を整えますが、足袋は左右 逆におはかせします。おはかせするのが難しい場合は ご納棺後に足元に置かれるのが良いでしょう。

 逆さ着物は 故人さまの衣裳を逆さまにして ご遺体にかける事で、洋服の裾を顔の方に、襟を足元のほうにして掛けるので逆さ着物と言います。但し 仏衣をお着せする場合は 逆さ着物にはせず、通常の通りお着せしますが、襟元は通常の右前では無く、左前で合わせます。

 そして ひもの結びは通常の横結びではなく、縦結びとします。

   今回は以上です。   

ご遺体を安置する

 今回はご遺体の安置に付いて書かせて頂きました。

 御家族が亡くなられ、ご遺体をご自宅に安置される場合 まず 神棚を白紙で覆い、お布団を敷いてご遺体を北枕に安置し、ご遺体保全の為のドライアイスをお当てします。神式であれば 枕元に白木でできた八脚の台(案とも言います)をそなえ、その上に燭台と榊を生けた花瓶を置き、白木の三宝にのせた 洗米・塩・水・お神酒をお供えします。仏式であれば 同じく枕元に白木の小机を用意し、三具足を配置し枕飯・枕団子をお供えします。但し浄土真宗では枕飯・枕団子を用いません。キリスト教では特別 お飾りをする習慣は有りません。

 神道では 死は穢れであり、死穢(しえ)が神棚に及ばぬ様、神棚を白紙(半紙)で覆います。又 この作業は 忌みがかかっていない他人にお願いすべきとされます。この白紙は忌明け後に取り除きます。

 ご遺体の枕元やご遺体の上に守り刀を置く習慣がありますが、これには 魔除けや死霊の鎮魂のため、死者の魂が持ち去られる事を防ぐ為、死霊を封じ込める為、など様々な言い伝えが有ります。ご遺体の上に置く場合は 刃先を足に向けて置きます。但し地域により異なる場合が御座います。又 浄土真宗では使用しません。

 ご遺体を悪霊から守る為、あるいは 故人の死霊が周囲に及ばぬ為、ご遺体の周囲を屏風で囲む習慣も有ります。この屏風は 死後の世界と日常の世界は逆になっている との考えから、上下を逆にした 逆さ屏風の形で引き回します。

 ご遺体の枕元に置かれる白木の小机と、その上に置かれるお道具は 枕飾りと呼ばれます。小机のうえには まず三具足を備えます。香炉を中心に 右に燭台(火立て)を備え灯明を灯します、左に花瓶(花立て)を備え 樒(しきみ)を1本 又は菊を1輪 生けます。この他に 鈴(りん)、枕飯(山盛りにご飯を盛った茶碗に2本の箸を垂直に挿したもの)、枕団子(お皿に半紙を敷き その上に小さな白い御団子を6っ 盛ります)、浄水、故人様が好まれた物 などをお供えします。

枕飯や枕団子は死出の旅の食料とされます、従いまして 死出の旅を説かない浄土真宗ではお供えしません。

   今回は以上です。

葬儀と告別式

 今回は葬儀と告別式に付いて書かせて頂きました。

 現代では 葬儀式と告別式は一体と理解される事がしばしばで、色々な制約条件から45分の間で 葬儀式と告別式を行うことが一般的となり、その違いが判然としなくなって居ります。本来 葬儀式は 故人様をこの世から あの世に引き渡す 宗教的儀礼であり、ご遺族・ご親族が宗教家を中心として執り行われます、それに対し 告別式は 知人・友人が故人様に別れを告げ ご遺族・ご親族に慰めの言葉を寄せる社会的儀礼であり、喪主様を中心として執り行われます。 

 葬儀式は 人の死を弔う為に執り行われる祭儀の一部で 宗教が文明の中で発生する以前の旧石器時代から行われてきた宗教的行為です。葬儀の様式は それを執り行う人の 死生観・宗教観を前提として居り、宗教の違いが そのまま 葬儀様式の違いとなります。又 葬儀は 亡くなられた故人様の為だけでなく 残された者の為にもあります。残された人々が故人様の逝去をどのように心の中で受け止め、位置付け、そして処理をするか、これらに対する手助けをする儀式でも御座います。尚 参列の際の服装は 喪服 もしくは 喪服に準ずる黒を基調とした服装を着用します。

 告別式は 葬儀式の後 あるいは葬儀式の代りに行われる式で、喪主様が中心となり 故人様のご逝去を社会に告知し 多くの方々が故人様に別れを告げる儀式であります。従いまして 故人様の死を悼む方であれば 誰でも参列して良い式であります。行われる内容と致しましては 弔辞の朗読、弔歌の斉唱、弔電の披露、参列者による故人様への告別(焼香、献花など)などを執り行います。参列の際の服装は 喪服 もしくは喪服に準ずる服装を着用するのが慣例ですが、平服着用のおことわりがある場合は 喪服の着用は避けた方が良いでしょう。

 葬儀式・告別式 何れの場合も 華美な服装や 光り物と呼ばれる装身具の着用、派手な美粧はタブーとなります。

   今回は以上です。

法要を営む

 今回は法要に付いて書かせて頂きました。

 法要とは 仏教に於ける 儀式・祭礼などの行事全般を言いますが、私共 社会の中では 故人様を弔う儀式を指す様になって居ります。元来の法要とは 仏教に於いて 釈尊の教え(仏法)を学ぶ事、すなわち 仏法の要点を知る事でした。ちなみに 故人様の冥福を祈って行う法要は 追善法要といわれます。又 ご自分より先に亡くなった年長者の冥福を祈る追善法要に対して、ご自分より若くして亡くなられた者の冥福を祈る法要を 逆修法要といいます。

 日本人は死者供養を大切にしてきた民族であると言えます。ご自分が生あるかぎり 亡くなった方のことを覚え、自らの生に感謝し、故人様との関係を維持しつずけようとする文化は 日本人特有の文化とも言えます。

 法要は仏事とも言われますが、忌中(中陰)の七仏事(初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日)はインドに起源を持ちます。その後 中国へ仏教が伝わり 百ヶ日、一周忌、三回忌が加わりました。そして 日本に伝来後 七回忌、十三回忌、三十三回忌が加えられ、更に十七回忌、二十五回忌が追加されて 現在の形となりました。三十三回忌をもって弔い上げ(とむらいあげ)とし、故人様は先祖の霊へとなります。

 以上の他に 祥月命日(故人様の年命日)、月忌(故人様の月命日)、春秋のお彼岸、夏のお盆 が有ります。

 ご位牌は 中陰の間は 白木のご位牌、四十九日の法要後は本位牌、そして 弔い上げをもって 故人様は その個性を失い 祖霊(先祖)となります。白木のご位牌と本位牌には 故人様の戒名・法名が記されますが、弔い上げと共に 本位牌を片ずけ、以降 ”〇〇家先祖の霊”と記された位牌をお祀りすることとなります。

   今回は以上です。

忌中の心得

 今回は忌中(きちゅう)について書かせて頂きました。

 忌中とは 仏教の教えで 中陰(ちゅういん)或いは中有(ちゅうう)とも言い、故人様がご逝去された日を含めて四十九日の間を指します。死の穢れが最っとも強い期間で、ご遺族の方々は 祭りごと等えの参加を控え、謹慎して家にこもり、肉や魚等の生きものを食さない期間とされます。四十九日が過ぎると 忌明け(きあけ)となり、日常生活に戻ります。

 古代インドでは 人は輪廻転生すると信じられ、この考えが仏教にも取り入れられ、誕生の瞬間が 生有(しょうう)、生きている間が本有(ほんぬ)、死の瞬間が死有(しう)、死んでのち 次の生(六道の一つ)を受けるまでの期間を中有 あるいは中陰と呼び その期間は臨終の日を含めて四十九日間であるとされました。この考え方が中国を経て日本に伝来し 日本独自の死生観と合わさり 穢れの強い期間である忌の中、そして 故人様が現世から来世へ旅立つ期間と解釈される事となりました。尚 浄土真宗では 故人様は臨終と同時に浄土へ往生すると考えますので、忌中の期間は 故人様への追慕、故人様の死を通して 生と死 について考え、謹慎して求法の生活をする期間であるとされます。

 忌明けの法要は 臨終の日を含めて四十九日目の執り行うべきですが、現在では 参列者の方のご都合を考え 四十九日より前の休日を使って 行うのが一般的と成りました。忌明け法要をもって 精進落としとなり、中陰壇(後飾り)を片ずけます。それまで使用して居りました白木のお位牌を壇那寺へ返し、本位牌を仏壇にお納めします。又 神棚を閉じていた白紙などを取り除きます。

   今回は以上です。

喪中の心得

 今回は喪中に付いて書かせて頂きました。

 喪とは 近親者、極く親しい知人・友人、尊ぶべき方等の 死に接して、その死を悼む者が 一定期間 過ごす 日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態をさします。喪の状態に身を置く事を 喪に服する、服喪などと言い、喪の最中である事を 喪中と言います。喪に服する期間は 最長で13ヶ月で 故人様との関係により期間は異なります。喪中には慶事を執り行う事、慶事に参加することを控えます。

 喪の考えは 古来日本からの考えで、地域・文化により多少の差異は有りますが、死は穢れの一種であるとして、それに交わる者を一定期間 慶事から外すことにより、慶事が穢れることを避けるという意味を持ちました。又 死別は悲しい事であり、嬉しいことに参加している場合ではないという 心情的な意味合いもあります。

服喪期間の服装は 黒、又は白の喪服ですが、現代では それ程厳密ではなく、控え目な服装となります。

服喪期間の禁忌事項は 古くは多岐にわたって居りましたが、現代では 殺生を行うこと(忌中のみ)、慶事を執り行うこと、慶事への出席、正月の賀状(替りに喪中欠礼の挨拶を行う)などとなります。

 服喪の期間は 故人様との関係により異なります。尊ぶべき方、例えば天皇崩御の場合は 内閣府より発表されます。親しい友人・知人の場合は 御自身のお気持ちに合わせ 数週間から数ヶ月、近親者の場合は一周忌までが一般的になって居ります。尚 明治7年に出された太政官布告では以下の内容となって居りました;

   続柄        忌日数      服喪日数

   父母         50日       13ヶ月

   養父母        30日       150日

   夫           50日       13ヶ月

   妻           20日        90日

   嫡子(息子)     20日        90日

   その他の子     10日        90日

   養子         10日        30日

   祖父母(父方)   30日       150日

   祖父母(母方)   30日        90日

   叔父・叔母     20日        90日

となって居りましたが昭和22年に廃止となって居りますが 服喪期間の目安となります。

   今回は以上です。

彼岸とは

 今回はお彼岸(ひがん)に付いて書かせて頂きました。

 お彼岸とは 季節の移り変わりを的確に掴む為に設けられた 特別な暦日の一つで ”暑さ寒さも彼岸まで”に示されように、冬から春、秋から冬への変わり目を指します。節分、杜白、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日を含めて雑節と呼ばれます。春分の日 秋分の日を中日とした 前後3日を合わせて 計7日間を指し、その中日は先祖に感謝する日とされて居ります。

 彼岸は 仏教用語の到彼岸(とうひがん)から来ており、サンスクリット語で 完全である事、最高である事 を意味する 波羅蜜多(はらみた)をあらわし、仏教に於いて 各修行で完遂・達成されるべきものを指します。達成されるべき徳目は全六種であり 六波羅蜜と呼ばれます。六波羅蜜を会得することにより 此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る(到彼岸)とされます。彼岸は7日間ですが、初日の彼岸の入りから3日の間 六波羅蜜を唱えて三種の徳目を修め、中日にはご先祖に感謝し、残る3日間で更に三種の徳目を修めます、七日目は彼岸明け(はしりくち と呼ぶ地域も有ります)となります。尚 彼岸の間に行う仏事を 彼岸会(ひがんえ)と呼びます。

 本来の彼岸は 自身が極楽浄土昇天を祈念するものでした、浄土思想で信じられている極楽浄土は 西方の遙か彼方(西方浄土)にあるとされ、春分と秋分の日は 太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝して 遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのがお彼岸の始まりとされます。現在では 六波羅蜜を修める6日間を除いた 中日のご先祖法要のみが一般化しました。尚 彼岸は 日願(ひがん)から変化したとも言われて居ります。

   今回は以上です。

お盆とは

 今回はお盆に付いて書かせて頂きました。

 お盆は 太陰暦である和暦(旧暦)の7月15日を中心に、祖先の霊をお祀りする行事で、7月13日に迎え火を焚いて 先祖の霊を迎え、15日を中元として 先祖をお祀りし、16日に送り火を焚いて 浄土へお送りします。横浜では新暦の7月15日をお盆として居りましたが、現在では 全国的に一般化されている新暦8月15日が一般的となって居ります。お盆は 仏教の行事と認識されて居りますが、日本国内では 仏教伝来以前から 7月15日に先祖を供養する行事が行われて居り、日本古来の神道に於ける先祖供養の神事と、仏教行事の ”盂蘭盆(うらぼん)” が江戸時代に習合して、現在の形が出来たと考えられます。

 盂蘭盆は インドに於けるサンスクリット語 ウランバナ の音写語で 倒懸(さかさにかかる)という意味で、盂蘭盆会(うらぼんえ)は 本来は 僧侶が集まって修行を行った際 修行の終わった日に人々が衆僧の為に飲食等の供養をした行事が その後 転じて 祖霊をお迎えして祀る宗教行事に変化したとされます。 

 送り火は 京都五山の送り火等が有名ですが、地域によっては 川に送る風習もあり その場合は灯篭流しが行われます。中元の翌日 16日の晩には 寺社の境内に老若男女が集まって行う踊りを 盆踊りと言います、旧暦の7月15日 もしくは16日は 何れかの日が満月であり 晴れていれば 月明りで夜通し踊る事が出来ました。盆踊りは 地獄での受苦を免れた亡者たちが 喜んで踊る姿を模したと言われて居ります。

 そして 故人様の四十九日法要を終えて最初に迎えるお盆を 新盆(にいぼん)、又は初盆(はつぼん)と呼び 特別に手厚く供養する風習が有ります。新盆の家では 門口、仏壇、や お墓に白一色の盆提灯を灯して 特別の儀礼を行います。尚 新盆以外の場合は 模様の入った提灯で構いません。

   今回は以上です。

死亡記事の出稿

 今回は死亡記事に付いて書かせて頂きました。

 死亡記事とは 新聞による 故人様の死亡を告知するものです。一般的には故人様のご逝去を新聞社に連絡すると、新聞社では掲載の可否を担当者が判断して、特定の欄に記事としてのせられます。又 死亡記事の他に 死亡広告という告知方法もあり、これは特定スペースを有料で確保し、ご遺族の希望する内容の告知を行う事が出来ます。尚 死亡記事には費用はかかりません。

 死亡記事は新聞社により掲載基準が異なりますが、全国紙の場合 全国版、本社版、地方版の何れに掲載するかは 故人様 及び親族の方の 知名度 業績 肩書により判断されます。尚 本社版には 東京本社版、大阪本社版、中部本社版、西武本社版などが有ります。地方紙では 地元に密着して居りますので、地元での評価により掲載の可否が決定されることになります。横浜での地方紙は神奈川新聞となりますが、比較的 前向きに掲載してくれます。死亡記事の要点は以下のとおりです;

 故人様に関する事項

  故人様氏名(ふりがな、肩書)、死亡日時(時刻は省略可)、死因(省略可)、死亡場所(省略可)、死亡時年齢(満年齢)

 通夜、葬儀、告別式に関する事項

  通夜、葬儀、告別式の日時、式場名(所在地)

 喪主様に関する事項

  喪主様氏名、喪主様と故人様の関係、自宅住所

 故人様について特記すべき事項(通常は省略)

今回は以上です。

香典とは

 今回は香典に付いて書かせて頂きました。

 香典とは 本来は香奠と書き、仏式の葬儀や法要に於いて 故人様の霊前にお香(線香)を供える事を意味しました。香は線香であり、奠は霊前に供える事を意味します。現在では 香に代わる金品ということから 香典、あるいは香料となりました。香奠には 金銭香奠と食料香奠が有ります、長い間 食料香奠が中心でしたが、都市部では明治時代から、農村でも戦後は金銭香奠が一般的と成りました。神式では御霊前・御玉串・御榊料、キリスト教ではお花料等が使われます。

 金銭香奠の歴史としては 室町時代後期に武士が金銭香奠をだしたとの記録が有りますが、長い間 一般民衆の間では食料香奠が一般的でした。これは 喪家(そうけ)では 故人様の成仏を願い、滅罪をする為の布施として、人々に食事を振舞う習慣が定着しており、葬儀の期間 地域の共同体に属する人々は 子供を含め喪家の振る舞いに預かり、自分の家では食事をしなかったという記録もあります。この振る舞いの為の出費は多額でもあり、喪家を援助する為に 親族は親族香奠として、隣近所は村香奠として 米や野菜を供出しました。貧しい家では葬儀が出せない という状況が起こらぬ様 香奠は相互扶助の意味合いを持つものでも有りました。

 香典の一般的な相場は以下の通りです;

近隣の人   3000-5000円

一般の会葬者 5000-10000円

関係者     10000-30000円

親族      10000-50000円

家族      50000-100000円

以前は 仏事に偶数は使わないとされて居りましたが、一万円の次が三万円では上がり幅が大き過ぎる事から、現代では二万円も使われる様の成りました。

尚 香典返しは3割ー5割返しが一般的です。

   今回は以上です。 

返礼品の準備

 今回は返礼品に付いて書かせて頂きました。

 返礼品とは 葬儀や法事のお手伝いを頂いた方や 参列者に振舞う品物の事で、他者に布施をすることによって仏に徳を積みこれを故人様に振り向ける 為のもので 供養の為の品ということから 供養品とも呼ばれます。返礼品には 通夜返礼品、会葬返礼品、香典返し、法事返礼品などが有ります。

 通夜や葬儀の時 会葬の方へ食事や酒を振舞ったり、お菓子を出したりするのは 故人様の減罪を願う布施の一つで 故人様の供養につながると言う考えから生まれました。以前は葬列が出発する前に籠に菓子や小銭を入れて 見送る人々に振り撒いたのも 同じ考えにもとずくものです。

 通夜返礼品は 通夜の弔問に来られた方への返礼品で、通夜振る舞いに出られず お帰りになる方へのお礼の品物です。又 事情によっては 通夜振る舞いを行わず、寿司券などをお渡しするケースも御座います。現在の横浜では 通夜のみに弔問されて、告別式には参列されない方も多く、通夜 告別式の区別なく 同じ返礼品をお渡しするののが 一般的となって居ります。

 会葬返礼品は 葬儀・告別式に参列頂いた方への返礼品です。香典持参の有無に係わらず 参列された方 全員にお渡しします。品物としては ブランド物のハンカチ、砂糖、お茶、クッキ-などで 500から800円程度の物が一般的です。尚 横浜では 香典返しは 即返しが習慣となって居り、通夜返礼品や会葬返礼品は特別に用意せず、会葬者には 2,500円前後の香典返しをお渡しするのが一般的となって居ります。この場合 香典持参の有無にかかわらず会葬の方へお渡しすることとなります。

 香典返しは 大きく分けて 即返し と忌明け返しの2種類が有ります。即返しでは 葬儀・告別式でお返しして居りますが、高額の香典を持参された方には 別途 お返しをするのが良いでしょう。忌明け返しは 三十五日や四十九日の忌明けに合わせて 礼状を添えて返礼します。お返しは半返し(頂いた金額の半分をお返し)、又は 三分返し(頂いた金額の30%をお返し)で品物をお送りします。又 葬儀の余剰金を社会福祉施設に寄付するとか、遺児の養育費に充てるとか 香典返しを行わない事も有ります。香典返しを行わない場合は その用途を忌明けの挨拶状に記すと良いでしょう。

 法事返礼品は 四十九日、一周忌、三回忌等の法事に参列して頂いた方に対するお礼の 返礼品です。繊維製品、お茶、お菓子などが一般的です。お斎の席を設けない場合は 折り詰めの料理も用意すると良いでしょう。

   今回は以上です。   

葬儀の祭壇とは

 今回は祭壇に付いて書かせて頂きました。

 祭壇とは 神、精霊、や死者などに犠牲や供物を捧げる壇を言いますが、仏教に於ける祭壇としては 常設のものは 仏像を安置するための 須弥壇、自宅内に設ける仏壇、仮設のものとしては ご遺体安置中に設ける 枕飾り、葬祭式場内に設けられる祭壇(葬儀壇とも言う)、忌中に設ける中陰壇(後飾り)、お盆に設ける精霊棚(盆棚)などが有ります。

 かって 仏教に於ける 故人様のお見送りは 自宅での法要、そして 葬列を組んでご遺体を菩提寺に移し法要と 二段構えで行われましたが、時代とともに変化し 二つの法要は一つにまとまり、葬列で使われた飾りと 寺院での葬儀の飾りとを合わせて、現在の葬儀祭壇が作られました。葬列が組まれた当時の寺院に於ける法要(葬儀)では 白木の輿に乗せられた柩の前に野机と呼ばれる小机を置き その小机を白布で覆い、その上に 御位牌 三具足 供物を乗せ、両脇に供花や供物を飾り、柩の後ろには 葬列で用いた幡(はた)などの野道具をならべる形で葬儀が執り行われました。その後 寺院に設けられた須弥壇にならう 祭壇を取り入れ、又白木の輿を飾り付けて 宇治の平等院を模る 飾り輿などが 祭壇の構成に取り入れられて行きました。

 戦後 告別式中心の葬儀に変化すると 立派な祭壇を飾ることが故人様を弔う事に成る という考え方が生まれ、祭壇は大型化して行きます、二段・三段の白木祭壇が組まれることが一般的と成りました。

現在では ご葬儀は より個人化する方向にあります、そして 祭壇は 故人様を顕彰する為のものと 理解される様にも成り、故人様の愛用品を祭壇に飾ることや、故人様の好きだったお花で飾る 生花祭壇なども一般的となって居ります。

   今回は以上です。 

葬儀の祭壇

 今回は葬儀の祭壇に付いて書かせて頂きました。

 葬儀の祭壇は 宗教儀礼を前提として葬儀を営むのであれば、仏教の場合は仏様、神道やキリスト教の場合は神様を中心として組まなければ成りません。他方 告別式の祭壇は 故人様を中心として組む必要が有ります。現代の葬儀では 葬儀と告別式を一定時間内に執り行われて居り、祭壇も両方を意識して組まれなければ成りません。無宗教葬の場合は 故人様とのお別れが目的の祭壇であらねばなりません。

 宗教儀礼として 葬儀を営む場合は 仏様や神様の導きによって 故人様をあの世に送る事が基本となります。神道では家の守護神となって頂く事となります。仏教葬儀の目的は 仏様を供養する事により 得られる功徳を 故人様へ振り向けてて極楽往生を願うと言う 間接的方法を取ります。キリスト教の場合は 礼拝が中心ですが その対象は神様です。したがいまして 祭壇の中心は 仏教の場合 御本尊、キリスト教の場合は礼拝の対象が故人様にならない様にしなければ成りません。つまり 宗教儀礼としての祭壇は 故人様をないがしろにする訳では有りませんが、故人様を礼拝の対象とするような荘厳は適当では有りません。執り行う 宗教、宗派の考えに従った道具立てをしなければ成りません。

 一方 告別式では 故人様とご遺族・会葬の方々とのお別れが中心と成りますので、ご遺族・会葬者の想いを祭壇の装飾に生かすべきです。

 従いまして 祭壇を作るに当たりましては 宗教者とご遺族が 良く相談をされて お決め頂き、葬儀儀礼の場であると同時に 告別の場でもあるという二面性を意識した祭壇であらねば成りません。

 祭壇の大きさは 生花祭壇であれば 幅2。2m、高さ1.8m、奥行き1.2m程度が一般的ですが、ご遺族のご希望、会場の広さ、会葬者の人数等に合わせてどの様な祭壇も組む事が可能です。

   今回は以上です。

お位牌とは

 今回は位牌に付いて書かせて頂きました。

 位牌とは 仏教葬儀で死者の霊を祀る為に使われる 死者の戒名(法名)等を書いた木製の稗で、中国の後漢時代に儒教の葬礼では 死者の霊牌には官位と姓名が書かれた事から ”位”牌と呼ばれます。霊の依代(よりしろ)という日本古来の習俗と仏教の卒塔婆が重なり出来あがったと考えられます。位牌には 内位牌(白木位牌)、野位牌、本位牌、寺位牌等が有ります。

 位牌の表には戒名(法名、法号)が書かれ、裏には 俗名、死亡時年齢(享年、行年)、死亡年月日が書かれます。

 故人様のご臨終後 枕飾り、及び葬儀の為の 白木の簡素な内位牌が作られます。内位牌は葬儀の後も四十九日の法要が終るまでの忌中は 中陰壇(後飾り)に祀られます。四十九日法要で 故人様の霊は 内位牌から 本位牌に移され、その後 お寺で焚き上げられます。

 野位牌は 内位牌と同じ白木の位牌で、墓石に文字が刻まれるまでの間 お墓に置く位牌です。

 本位牌は 忌明け以降、三十三回忌 もしくは五十回忌の弔い上げまでの間 仏壇に安置してお祀りする位牌です。伝統的なものとしては 漆塗りに金箔・沈金を施した 塗り位牌や、黒檀・紫檀などに半透明の塗装をした唐木位牌などが有ります。金額的には一万五千円から10万円の間のご位牌が一般的です。又 この他に集合型の 繰り出し位牌があります、多数の薄い木の札を重ねて納められる様にした箱型の位牌で 一枚に一人の戒名・俗名・享年・命日などを記して納められ 複数の故人様をお祀りする事が出来ます。

 寺位牌は 本位牌とは別に 菩提寺に納める位牌で、お寺の位牌堂や本堂内に安置され、朝夕の勤行の際に供養されます。

 浄土真宗の場合は 死者を礼拝の対象としない為、原則として位牌は用いません。代りに 法名軸に法名を書いて 仏壇の側面に掛けるか 或いは法名帳に法名を書いて 仏壇の中段 もしくは下段の横に置きます。

   今回は以上です。 

戒名を頂く

 今回は戒名に付いて書かせて頂きました。

 戒名とは 仏教教団に入信し、戒律を守る事を誓った者に与えられる名前のことです。漢字二文字で表現され、身分の上下や精進、報恩の多少に関係なく 仏の世界では平等であることを表わします。そして 戒名を与えられた後は 俗名を捨てて戒律を守ることに専心します。日本に於いては 死後に成仏するという考え方を基に 故人に戒名を与える習慣が出来上がりました。尚 浄土真宗では 法名、日蓮宗(日蓮正宗を除く)では 法号と呼びます。

 本来のインド仏教では 戒名はなく、仏教が中国に伝わり 道教の道号の様に 僧侶の号として戒名が作られました。その後日本に伝来し 当初は出家した僧侶にのみ 俗名に代わり戒名が授けられましたが(授戒)、出家をしない在家の壇信徒も 授戒会に加わり 戒を受ける様に成り、仏法に帰依した者として 戒名が与えられるように成りました。本来 戒名には苗字が附かないものでしたが 室町時代後期頃から 苗字+戒名の呼び方が一般化し始め、武田信玄、上杉謙信、大友宗麟などの呼称が出始めました。その後 この呼称は廃れて行きますが、江戸時代に入り、寺壇制度が確立する中で、故人を成仏させる為に授戒して戒名を与える事が一般化し、通夜の席で授戒を行うように成りました。現在では 授戒と引導が 葬儀儀礼の中心をなすものとして位置付けられて居ります。尚 亡くなった人を仏の弟子にして浄土に送る事を 没後作僧(ぼつごさそう)と言います。

 本来 戒名は 身分の上下を示してはならないものでしたが、日本では 身分制の時代を背景に発達した為 現在では身分を表わす事ともなっております。現在では 院号・道号・法号・位号で構成されて居ります。

1 院号

   最上級の尊称と言われるものに 院号、と院殿号が有ります。皇室や摂関家に対して〇〇院が、武士に対して〇〇院殿が与えられました。院号より院殿号が上位とする習慣は 大名家に院殿号をつけるようになった江戸時代に生まれたとされます。

2 道号

   元々は 仏道に励み これを究めた者への称号で 住職などに与えられるものとされます。

3 法号

   本来の戒名(法名、法号)です。

4 位号

   位階 性別を表わすもので 信士・信女、居士・太姉、大居士・清大姉 などが有ります。

   今回は以上です。

寺院への布施

 今回はお布施(ふせ)に付いて書かせて頂きました。

 お布施とは 仏教に於いて 菩薩(悟りを求めて修行する人)が行うべき六っの実践徳目(六波羅蜜)の一つで、他人に与える事を指します。施す人も 施される人も 施す物品も 本来的に空であり、執着心から離れて成されるべきものとされます。お布施には 財施、法施、無畏施の一般的なものの他に 和顔施、言辞施などがあります。

 布施は 梵語で ダーナといい 壇那と書かれ、他人に与える事を指します。布施をする人をダナパティといい、施主、壇越(だんおつ、だんえつ)、檀徒(だんと)などと書かれます。菩提寺にお布施をする家を 檀家と呼びますが、これは 壇那・壇越から来たものと考えられます。お布施には以下のものが有ります;

1 財施(ざいせ)

   出家修行者、仏教教団、貧窮者などへ 財物や衣食などを与えること。

2 法施(ほうせ)

   仏の教えを説き、精神的な安心を与えること。僧侶の務めでもあります。

3 無畏施(むいせ)

   困っている人に親切を与えること、災難などに遇った人を慰め、その恐怖心を除くこと。

4 和顔施(わがんせ)

   笑顔を人に見せ、それを見る人に幸福感を与えること。

5 言辞施(げんじせ)

   相手にとって快い言葉を語り、幸福感を与えること。

 葬儀に於きましては 僧侶は通夜式・葬儀式の法要を営むことによって 法施を施し、ご遺族はこれに感謝して財施を施す という関係にあります。僧侶が法要を営むことは ビジネスでは無く 法施であり、ご遺族のお布施は 法要執行への対価ではなく あくまでも 財施として行うのが本来の考え方です。従いまして お経料や戒名料の表現は 対価としての料金という考えにもとずくものであり 相応しくないと考えられます。ご遺族には お礼という気持ちがあると思いますが、それを超えた意味合いが有ることを理解して頂き お布施と上書き頂くのが正しいとされます。尚 お布施の金額に付きましては 世間一般に理解される金額が御座いますが、経済的な事情をお持ちの場合は 素直に寺院にご相談される事をお薦めします。

 他の宗教でも その考え方は基本的には仏教と同じです。神道では 神職へのお礼は 玉串料 或いは 御祭祀料などと上書きします。キリスト教の場合は 教会への献金と、司祭 あるいは牧師への謝礼からなります。オルガニストへの謝礼も忘れない様にします。

   今回は以上です。  

仏壇とは

 今回は仏壇に付いて書かせて頂きました。

 仏壇とは 日本独特のもので 一般家屋に常設される 仏教の礼拝施設で、その家の先祖をお祀りする場であると共に 弔い上げ前(三十三回忌や五十回忌前)の 故人様を供養する場でも有ります。仏壇を新規に購入されましたら 僧侶に依頼をし 仏壇・本尊・位牌に対する開眼供養を行います。開眼供養により 本尊や位牌が礼拝の対象となります。開眼供養は 四十九日や一周忌の法要の際に合わせて行うのが一般的です。

 古代インドでは 土を積み上げて壇を作り、そこを神聖な場所として神を祀りました。更に雨風を防ぎ為に 土壇に屋根が設けられ、回りを囲む壁が設けられ、現在の寺院の原型が出来上がります。日本に仏教が伝来した当初は 寺院内の仏像を祀る場所を仏壇と呼んで居りましたが、その後 仏教の宇宙観では 巨大な山 須弥山(しゅみさん)が宇宙の中心をなし そこに仏(帝釈天)が所在するとされ、仏像は須弥山を模った須弥壇に安置されるべき として 仏壇は須弥壇と呼ばれる様に変わります。同時期の平安時代後期 貴族などの上流階級では 個人で持仏堂を持つ者も現れ始めました。そして持仏堂を持てない人々は仏間を持つ様になり、又 鎌倉時代に入ると 禅宗の伝来とともに 位牌が流行し、自宅内に本尊や位牌を安置する壇を仏壇よ呼ぶ様に成ります。仏壇が庶民の間に普及するのは 江戸時代中期以降の寺壇制度確立の後からです。

仏壇は 大きく分類すると 金仏壇、唐木仏壇、家具調仏壇に分けられ、30-50万円の価格のものが一般的ですが、最近では 20万円以下のシンプルでモダンな仏壇も多く見られる様に成りました。

 近年は グリーフワークの観点で 葬儀後の悲嘆にくれるご遺族が 仏壇内に安置されたご位牌を通して故人様と対話することにより 悲しみを癒して行く効果が期待できるとも言われて居ります。

   今回は以上です。

仏具とは

 今回は仏具に付いて書かせて頂きました。

 仏具とは 仏教の儀式で使用される特有の道具、及び 僧侶や聖職者が使用する装飾品を指します。法具や法器とも言います。

 仏教では 本来 僧侶は最低限の衣服と食器(三衣一鉢)以外の金品を所有する事は戒律で禁じられて居りましたが、釈迦の死後数百年が過ぎると 信者から寄付された最低限の金銭や日用品を持つ事が許されるようになります。紀元を過ぎると 仏教はインド以外の各地へと伝播して行き、僧侶は人々へ 祈祷や葬儀などの儀式を司る様になり、それに伴い儀式で使用される道具や装飾品が開発されて行きます。更に中国やチべットなどでは特殊な仏具が使用される様に成りました。そして 中国で成立した浄土信仰が民衆の間に普及すると、信者自身が直接 仏へ信仰する様になり、仏画、数珠などの仏具を信者が自身の家庭で使用するようになりました。

主な仏具は以下のものです;

1 三具足と五具足

   基本の仏具で 香炉、火立て(燭台)、花立て(花瓶)で構成されます。三具足では 中央に香炉、右に火立て、左に花立てを配置します。五具足は中央に香炉、その両側に火立て、さらに その外側に花立てを配置します、火立て;1対、花立;1対、そして香炉の五具足となります。一般には三具足で、正式な行事では五具足を用います。

2 香炉

   線香や抹香を焚く為の道具です。三つ足の場合は 一本の足が手前に来るように置きます。

3 線香差し

   線香を入れておく為の容器を言います。

4 花立て

   仏壇に供える花を生ける花瓶です。華瓶(けびょう)とも言います。

5 燭台(火立て)

   灯明、ロウソクを立てる道具です。

6 打敷(うちしき)

   仏前の前卓を飾る敷物です。一般的には長方形ですが、浄土真宗では三角形となります。

7 仏飯器(ぶっぱんき)

   ご飯を盛る器で、仏器とも言います。

8 茶陶器(ちゃとうき)

   お茶を供える為の道具です。

9 高坏(たかつき)

   菓子や果物などを供える為の器です。菓子や果物は半紙を敷いた上に供えます。

10 霊供膳(りょうくぜん)

   仏壇に供える小型の本膳です。浄土真宗にはありません。

11 燈籠(とうろう)

   仏壇の中を明るく照らす道具です。

12 鈴(りん)

   勤行のときに打つ道具です。打ち方は宗派ごとに定められて居ります。

13 香盒(こうごう)

   抹香を入れる器です。

   今回は以上です。

香について

 今回は香に付いて書かせて頂きました。

 香とは 伽羅(きゃら)、沈香、白檀(びゃくだん)等の自然香木の香りをさしますが、そこから 線香 抹香 塗香 香水などが作り出されました。仏教 発祥の地である インドは 多くの 香木を産し、また 酷暑の気候による悪臭を防ぐために、香は重要な役割を果たして居りました。この様な背景のもと、仏教では 香を焚くことにより、不浄を祓い、心識を清浄にするとされます。又 焚いた香の煙は仏の食べ物とも言われます。

香の香りをかぐことで、脳内にアルファ波が生成され、癒しの効果があるとされます。

 香の歴史は古く 紀元前3000年前のメソポタミア文明(現在のイラク北部)にまで遡ります。香の種類としては 白檀 丁香などの樹木の皮・葉・根などの粉末、乳香 安息香などの樹脂、麝香 竜涎香などの動物性のものがあり、香木と練香に分けられます。又 使用法としては 焚いて使用する香(焼香) と焚かずに体に塗る香(塗香)に大別されます。更に 焼香もその形状により 棒状 コイル状 渦巻き状 粉末状(抹香)に別けられますが 種類は多種にのぼります。

 線香は 古代インドが発祥の地とされ、香りを出す材料を細かく砕き、それを練り合わせて、細い棒状や渦巻き状に成形し、乾燥させて作ります、それに火をつけることにより、芳香のある煙を出します。香りを楽しんだり、医療目的に使用されて居りました。日本では 堺で線香の形状が開発され、江戸時代以降に一般化されたと言われて居ります。線香は燃焼が安定している事から時計代わりにも使われ、禅寺では 線香が1本燃え尽きる時間(40分)を 一柱(いちちゅう)と言い、座禅を行う時間の単位としました。最近では 仏壇による火災を予防するため、電気線香なども販売されて居ります。

 抹香は 粉末状の香で、かっては 沈香や栴檀(せんだん)などを材料として居りましたが、現在は 樒(しきみ)の樹皮と葉を乾燥させて 粉末にしたものが一般的です。

 日本では 線香は 仏壇やお墓にお供えして燻らせ、抹香は焼香用に使用されるのが一般的です。

   今回は以上です。

灯明(燈明)とは

 今回は灯明(とうみょう、燈明とも書きます)に付いて書かせて頂きました。

 灯明とは 神仏にお供えする灯火をいい、仏教 神道 キリスト教 何れの宗教でも 祭儀の際に重要な役割を担います。仏教では 闇(無明)を照らす智慧の光とされ、大切な供養の一つです。寺院や神社で灯す 灯明の淡い光は 仏の慈悲によって人の心を明るくするものとも、ご先祖が子孫(灯明を灯した人)へ 生きるための光を導き出す ある種の道標であるとも 言われます。

 灯明は 古くは 油皿に油を注ぎ それに灯心を添えて 灯りをともして居りましたが、ある時期から ロウソクに変わり、現在では電球によるものが多く成りました。ロウソクの歴史は大変古く、紀元前3世紀の頃には 中国でも エトルリア(現在のイタリアの一部)でも 既に使われていた事が証明されて居ります。ヨーロッパでは キリスト教の典礼に必ず使用される事から 修道院では古くからミツバチを飼い、蜜ローソクを生産する事が重要な作業でも有りました。又 19世紀のアメリカ合衆国では マッコウクジラの腦油を原料とするローソクが高級品とされ、盛んに捕鯨が行われました。日本で最初にロウソクが登場したのは奈良時代で、仏教の伝来と共に 蜜ローソクが中国から伝わったと考えられます。その後 日本では 松脂を使用したローソクが開発され、更に 木蝋の原料となるハゼノキが琉球から伝わり、和ローソクが完成しました。ローソクは 長時間 炎が一定の明るさを保つ事から、長い間 夜間の灯火として重要な役割を担いました。

 日本の仏事に於いて ローソクは欠かす事の出来ない道具となって居り、三具足や五具足の重要な構成要素です。仏事に於いて ローソクの色は 朱(赤)、金、銀、白の四種類を使い分けます、朱は法事(年忌法要)、祥月命日、お盆、春秋のお彼岸の時に灯します、金は結婚式や落慶法要などのお祝の時に灯します、銀は通夜、葬儀、中陰の時に灯します、朱・金・銀が用意出来ない場合のみ代用品として白を使用しても良いとされました。現在では 代用品である白を使用する事が一般的となって居ります。そして 東北地方には 花蝋燭よ呼ばれる花を表面に描いたローソクが御座いますが、これは 冬の雪深い中では 仏事の祭壇にお花を供える事が出来ない為、代りにロウソクにお花を描いて灯した とされます。

 キリスト教の祭儀では ミサの祭壇には ローソクを灯すことが義務付けられて居り、又 死者の為の祈祷や 復活祭の祈祷では 灯りをともしたローソクを手に持って礼拝に参加します。

   今回は以上です。 

花立(花瓶)とは

 今回は花立(花瓶)に付いて書かせて頂きました。

 花立(はなだて)とは 仏教に於いて 祭祀の際に使用される重要な仏具 三具足(みつぐそく)の構成要素で、常花(蓮の花を模った造花、仏具)や生花をお供えする際に使用する花器を指します。材質は真鍮製やアルミ製の物が一般的ですが、漆塗りの物、錆び難いステンレス製、純金製、純銀製の物なども有ります。尚 浄土真宗では 花瓶(かひん) 或いは 華瓶(けびょう)と呼びます。

 仏教に於いて お花はお供えする事は 先祖や故人様を偲んで 供養の心を表わす 大切な供養具で、花供養とも呼ばれ 日本の御家庭では大切な朝の行事とされて来ました。お供えするお花としては 特別な意味を持つ花として 蓮の花が有ります、泥の中に根を張り 美しい花を咲かせるその姿は、泥の様な欲望の渦巻く 厳しい現世の中で 清らかに輝く 仏の智慧を現すものとして、又 極楽浄土そのものとして崇拝されて来ました。生花としては 多菊を供えるのが一般的ですが、その菊にも意味が込められて居り、菊は古来より邪気を払う花として 珍重され、公式の行事でも多々使われて参りました。そして 他の花に比べて長持ちする事も ご仏壇や墓石にお供えする際に 選ばれる理由の一つとなります。

 ご仏壇に祀るお花を選ぶ際には 菊を中心として 香りのきついもの、花弁がパラパラ落ちる花、バラやアザミ等トゲの有る花は避けるのが一般的です。しかしながら 仏花は お供えする方のお気持ちが大切ですので、余り 拘らずに 故人様の好まれたお花を選ぶなど、お気持ちを表すお花をお供えする事が より大切ではないでしょうか。選ぶのに悩まれる様な場合は 仏花用として売られている生花セットをお薦め致します。仏花用の生花は 3本、5本、7本など奇数の本数で 全体の形がひし形に整えられ、季節の花も添えられて居ります。

   今回は以上です。  

ご本尊とは

神道のご神体

 今回は御神体に付いて書かせて頂きました。

 御神体とは 神道に於きまして 神が宿るとされる場所や物を指し、礼拝の対象となります。神道では 森羅万象 八百万の神が存在しますので 巨石、樹木、山、森、その他 注連縄で飾られた物など 多岐にわたります。神社神道では 神社創立の起源となった物体や 注連縄で囲まれた場所などが御神体とされ、皇室神道では 三種の神器(鏡、玉、剣)の鏡が御神体とされています。又 御神体は 神が宿る場所や物を指して 御霊代(みたましろ)、あるいは 依り代(よりしろ)とも言われます。

 御神体は 長期に渡り受け継がれて来た物、定期的に更新される物など多岐に渡りますが、受け継がれて来た御神体としては 海・川・滝・山・森・木・岩などで 景色の中で際立つ場所が 現世(うつしよ)と常世(とこよ)の境界と考え、神の国への入り口、あるいは 神のいる場所とされました。日本各地での ご神木や夫婦岩、霊峰としての富士山、福岡県宗像市の沖ノ島などが これに当ります。定期的に更新される物としては 儀式で使用される御幣、榊、祭に使用される神輿・山車、更に 諏訪大社の御柱 出雲大社の神殿等があります。

 神社の社には 御神体の証として 注連縄で飾られて居ります。神社神道の神社は 本来 神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)(神がいる場所)に建てられるのが一般的でしたが、本殿がなく山や丘や神木が御神体であるケース(諏訪神社、大神神社など)、子孫繁栄の象徴として男根を御神体とした神社なども御座います。

 又 大相撲の本来は 神に奉納される神事で、力士の最高位は大関であり、大関の中で特別に選ばれた者だけが神の神体となり、生き神である証として 注連縄である横綱を張ることが許されるとされました。

   今回は以上です。

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